2010年3月19日金曜日


昨日、ネットでキーボードを購入しました。
本日、早速届きました。

試してみたくて、いまこの記事をかいております。
不思議なのが、ミスタッチが少ないということです。

今まででしたら、ココまで入力するのに、
何度も、ウチ直しがあったんですが、
なぜか、スムースに入力できます。

2010年3月18日木曜日



昨日は、卒業式だった。
ゼミ生さんが、花とポットを贈ってくれた。
今日、自宅から花器を持ってきた。
この部屋に花を飾るなんて、初めてのことです。
いけ方がまずいのは、仕方のないことです。

2010年3月15日月曜日

週のはじめに、ボーっと考える。
昨日から今朝にかけて、野村元楽天監督の著書「野村ノート」を読んだ。
次の一文が引っかかった。

野球選手の仕事は、「野球」か「勝つこと」か、もちろん後者である。

私の教育面における仕事は、「教育」かそれとも・・・に続く言葉はなんだろう?
「100%の国家試験合格」や「100%の職場(社会)適応」かな。

昨日の中日新聞の近郊版で、春日井市内のC大学保健看護学科の初の卒業生のことが書いてあった。
それによると、卒業見込み76名のうち、69名が看護師・保健師国家試験を受験と書いてある。

7名が受験しなかったということ。未受験率9.2%。
この7名が、どういう経緯で受験しなかったのかは分からない。
成績がまずくて合格しそうも無くてあきらめているのか、それとも資格取得へのこだわりが無いのか。

もちろん、保健看護学科の単位を修得した人が、国家試験を受けなければならないことも無い。
しかし、この学生さんたちは、何を目的に大学の保健学科に入学のしたのだろう。
高校3年生の時に、看護師・保健師になりたいと、少しは考えたのではないか?
その可能性を広げてやることが教育ではないのか?

この事実は保健医療機関および高等学校の先生や生徒に、どの様に映るだろう。
今後の、C大学に注目。

2010年3月2日火曜日

最近、本(内田樹『死者と他者;ラカンによるレヴィナス』)を読んだことをきっかけに、その著者のブログをマメにチェックしている。今日、ブログを読んでいて、ふっと立ち止まってしまった箇所がある。ちょっと引用。『二泊三日台北ツァー』という題がついた文章の一部である。


台湾にはとりあえず一貫したストーリーがある。
「二つの中国」を認めない国際社会から孤立し、その否定的状況を実力ではね返して、そのプレザンスを認知させるという明確な意志が国民的に共有されている。
国共の戦いでは敗北したが、共産党と戦ったことそのものの意義について疑義を呈する台湾人はほとんどいない。
「無意味な戦いで、無意味な死者を出した」という種類のシニスムはこの英烈祠にはない。
私はそれが「いい」と言っているのではない。
私たちの国は「そうではない」ということを言っているのである。
私たちの国は戦争に負けた後「敵」を失った。
「戦いに負ける」ということと、「敵を失う」ということは別のことである。
日本はアメリカに負けた。
それゆえ、戦後日本人が採用すべきいちばん「ふつう」のストーリーは「来るべき反米攻勢の日を待ちつつ臥薪嘗胆に耐える」というものである。
そのストーリーの上に「アメリカとの歴史的和解」ということが提案されるのであれば、それは少しも困ったことではない。
矛を収めて和解する。結構ではないですか。けだし大人の風儀というべきであろう。
しかし、私たちはそういう「ふつうのストーリー」を採用しなかった。
採用できなかった。
それはあまりに手ひどく負けたからである。
「臥薪嘗胆」というような台詞が冗談でも口にできないほどめちゃくちゃに負けたからである。
「負け方がひどすぎたこと」、これが私たちの国がそれからあと世界戦略を持てずにいる大きな理由だと私は思う。
人々は好んで「原理の問題」を語るが、「程度の問題」を侮ってはいけない。あれほどひどく負けていなかったら、日本はこんな国にはなっていなかったと私は思う。
そういう点で、大日本帝国の戦争指導者の戦争遂行能力の欠如はきびしく糾弾されねばならない。



最後の2文の意味をどのように解釈するか?

全体を読まないと最後の2文の意味をとらえることはできない。
文章が強いのでこの文だけを取り挙げて解釈することは避けなくちゃいけない。
コンテキストから離れてしまうと、意味はガラッと変わる。