2010年10月15日金曜日

教養ゼミ3

前回に引き続き、議論する。


事前説明

話しやすそうなテーマを、Yさんが出してくれました。
男女間で友情は成立するか?

今回の目標ですが、相手の意見を受けて、自分の意見を言うことです。

前回は、自分の意見をメモしてから、全員がその意見を言うことで、意見交換会になったのですが、相手の意見を踏まえて意見を言うことが難しかったようです。そこで、今日は、意見交換をした後、他の人の意見に再度意見を重ねることで、もっと深い議論に進むことを目標にしたいともいます。
ポイントは、論点を明確にすることと、意見の根拠を意識することの2点です。


事後説明

議論は、どちらが正しいかを決めることが目的ではないです。何が正しいかを、本気で決めようとすると、パワーゲームにしかならない。その場では、気の強いほうが捨てゼリフみたくこうなんだ!って言って、まあ、これ以上雰囲気を壊したくないなあという空気を読んだ人が、黙ることで終わる。または多数決で決める。どちらも反対意見者は納得していない。
こういう対立を乗り越えて、より良い考えを見つけ出そうとする技術・つまりタフな思考力を身に付けたい。

今回してきた議論には、ポイントがありました。

友情とは何か?
その人が友情を、どのようにとらえるかによって、判断が異なります。
友情というのは、こういうもんだっていう知識は、自分で自分の中に育っています。
それはどうして育ったかというと、自分の経験を基にしているんです。

体調が悪くて授業を欠席した時に、ある人がノートを見せてくれて内容を教えてくれたり。一人ぼっちでさみしくならないように帰りを待ってくれたり、失敗しても信頼してくれるそんな経験が、友情ってこういうものだよなって勉強するんです。

それは、親や兄弟に助けてもらうということと感じ方が違う。
また、サッカー部の先輩に目が釘付けになったとか、ある男の子の前では緊張して話せないとか、気持ちもちょっと違う。
その違いが、友情とはこういうもの、家族の信頼、人に対する憧れや恋愛感情とはこういうものという、自分の体験による感覚で、学んでいくものなのです。
友情という言葉は、その人によって意味が違う。(シニフィアンとシニフィエ:ソシュールの一般言語学)

だから、経験が違う人であれば、友情とはなにかという認識は違って当然。(認識論)
その経験による、自分では言葉に表わせないような知識・認識が、意見・思考の基盤になる、根本的な拠りどころになっています。(根本仮説)

また、今の自分の関心にも影響されます。


もしね。いま彼氏がいて「その人に女の友達ができるのはいやだなあ」とか、逆に「別な子と付き合っている男の子がいるけど、自分も友達になりたい」なんと思っていると、無意識に意見に影響されることもあります。(関心相関性)

だから、自分では気づきにくい。
だから、必ず人によって意見は違う。同じ人だって、場面によって意見が違う。
だからこそ、このことを理解しておかないと、意見の違う人と分かり合えることが難しい。

自分は、このことから、このように考える。という練習と。
他の人は、何から、どのように考えるか、それはなぜかを考える練習が大切です。

「自分は、なぜそのように考えるか」を考える。
「自分の意見は正しくないかもしれない」と思う。
「他の人が、なぜそのように考えるのか」を考える。

 また、感想文を書く。

2010年10月13日水曜日

変な文章を残したいので

やせ我慢。


組織とは、その組織の外側からみると私的な組織に見えるが、組織内では公共的な存在となる。

その組織の私的な意見を、公共として発言し役割を担うことは、共同体内部に存する人間が、「ほんとうはしたくないのだがおれがやらないと誰もやらないようだからおれがやるか」とやせ我慢をして引き受ける。

公共的な私的と自分の本当の私的な理性が混ざっている人は、本来の公共性が私的であることをまったく理解できていない。公共的でないと処罰される恐怖を感じているから、他の人もその処罰を恐れると考える。

公共的な行動がとれる人は、自分の私的な理性と、公共体が外的に持つ私的な側面を意識して、公共的にふるまうことができている。

担いうるやせ我慢は、どのような我慢かによるのではないか。

S先生が、ワークショップを行うのは、やせ我慢か?
私が、N市民病院の研究相談を引き受けるのは、やせ我慢か?

この場合、公共は、組織は、どこにあるのか?何が、公共だろう?
何のためにしているのだろう?
私的な理性を、私的に使用しているだけか。ああそうか。

2010年10月8日金曜日

はじめての実習

先週から実習が始まっている。
私が勤務する学校は、3年次の後期から4年次の前期にかけて、実習を行う。
先週から始まった実習は、3年次後期生の実習であり、学生にとっては、これから1年か続く実習の一番最初である。
私が担当した学生は、みんな緊張の面持ちで、病院にやってくる。

概ね順調に進んだ実習であったが、1名かなり痛い思いをした。
自分が良かれと思った援助が患者の混乱を招き、さらにその夜に不穏になってしまうということが起きた。
混乱を招いたことで凹んでいたのに、それに加えて夜間に不穏になったということで、何をするのも怖くなってしまったのである。
その後の実習では「早く終わって欲しい」など消極的な発言もあり、それまで頑張っていたのに尻すぼみで終わってしまった。

よっぽど辛かったのだろうが、この辛さを乗り越える強さが欲しい。
また、このことを思い返し、意味をとらえなおし、次につなげることが重要であり、それが成長ってことなのだろう。

評価に悩む。今回の消極性は、減点対象にしにくい。


今日は、学内に戻って、他のメンバーや教員とも意見交換をしている。