最近、本(内田樹『死者と他者;ラカンによるレヴィナス』)を読んだことをきっかけに、その著者のブログをマメにチェックしている。今日、ブログを読んでいて、ふっと立ち止まってしまった箇所がある。ちょっと引用。『二泊三日台北ツァー』という題がついた文章の一部である。
台湾にはとりあえず一貫したストーリーがある。
「二つの中国」を認めない国際社会から孤立し、その否定的状況を実力ではね返して、そのプレザンスを認知させるという明確な意志が国民的に共有されている。
国共の戦いでは敗北したが、共産党と戦ったことそのものの意義について疑義を呈する台湾人はほとんどいない。
「無意味な戦いで、無意味な死者を出した」という種類のシニスムはこの英烈祠にはない。
私はそれが「いい」と言っているのではない。
私たちの国は「そうではない」ということを言っているのである。
私たちの国は戦争に負けた後「敵」を失った。
「戦いに負ける」ということと、「敵を失う」ということは別のことである。
日本はアメリカに負けた。
それゆえ、戦後日本人が採用すべきいちばん「ふつう」のストーリーは「来るべき反米攻勢の日を待ちつつ臥薪嘗胆に耐える」というものである。
そのストーリーの上に「アメリカとの歴史的和解」ということが提案されるのであれば、それは少しも困ったことではない。
矛を収めて和解する。結構ではないですか。けだし大人の風儀というべきであろう。
しかし、私たちはそういう「ふつうのストーリー」を採用しなかった。
採用できなかった。
それはあまりに手ひどく負けたからである。
「臥薪嘗胆」というような台詞が冗談でも口にできないほどめちゃくちゃに負けたからである。
「負け方がひどすぎたこと」、これが私たちの国がそれからあと世界戦略を持てずにいる大きな理由だと私は思う。
人々は好んで「原理の問題」を語るが、「程度の問題」を侮ってはいけない。あれほどひどく負けていなかったら、日本はこんな国にはなっていなかったと私は思う。
そういう点で、大日本帝国の戦争指導者の戦争遂行能力の欠如はきびしく糾弾されねばならない。
最後の2文の意味をどのように解釈するか?
全体を読まないと最後の2文の意味をとらえることはできない。
文章が強いのでこの文だけを取り挙げて解釈することは避けなくちゃいけない。
コンテキストから離れてしまうと、意味はガラッと変わる。
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